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23.  菊の御紋があるのはなぜですか?
  幕末、二条 斉敬(にじょうなりゆき)関白より、清和天皇祭祀の通知があり、二条家祈願所
となったことにより、菊の御紋の使用が始めて許されました。しかし、明治維新後の新政府により、
菊の御紋の使用禁止令が出たため、一時使用出来なくなりました。

  武蔵御嶽神社の社殿は明治に入り徳川幕府の終わりとともに、権現造りの本殿・幣殿・拝殿・
石の間を供えた社殿から神明造りに変えられました(本殿のみ)。
  この経緯の中で、皇居の西の守り神の存在として崇める、という有栖川宮熾仁親王(アリスガワノ
ミヤタルヒトシンノウ)の意向が仂いたことで、正式な表御紋(十六弁の菊)の使用が許されました。


二条 斉敬(ニジョウナリユキ) 文化13年9月12日 (1816年11月1日)生〜 明治11年12月5日 (1878年)
       幕末の公家政治家。五摂家。
       父は斉信,母は水戸藩主徳川治紀の娘従子。
       安政5(1858)年条約調印に反対の態度を示し,12月,徳川家茂への将軍宣下を伝達のため
       江戸に赴く。
       文久2(1862)年1月に右大臣,同12月国事用掛。翌年8月18日の政変に参画し尊攘派勢力を
       一掃,12月,関白に就任する。

       以来,朝彦親王と共に,幕府および徳川慶喜と提携して朝廷を運営,長州再征・条約の勅許に
       尽力した。
       慶応2(1866)年9月,列参奏上の22廷臣から批判を受け辞表を提出。却下され,徳川慶喜の
       将軍就任に力を尽くす。
       同年12月孝明天皇が没し,翌年1月明治天皇の践祚に伴って摂政となる。
       王政復古の政変で摂政・五摂家の制が廃絶され,参朝停止の処分を受けた。
       明治1(1868)年8月処分解除,翌年7月麝香間祗候。
       ちなみに二条家は,他の摂家と違って将軍の諱の1字を用いる慣例があり,斉敬の「斉」は
       家斉の「斉」である。
         (「みんなの知恵蔵」より転記)

有栖川宮熾仁親王(アリスガワノミヤタルヒトシンノウ) 1835年3月17日生〜1895年1月15日没
      江戸幕末から明治時代の皇族・政治家・軍人。
       有栖川宮幟仁親王の第一王子。
       現在、有栖川宮家は1923年に断絶。
       東京都港区に有栖川宮記念公園があり、熾仁親王の銅像がある。