御師と講

山に住まう「御師」

かつては日本の各地に「御師」と呼ばれる神職がいました。
その名称は「御祈祷師」を略したものとも言われ、参拝者の祈祷はもちろん、地域の案内や宿泊の世話をするほか、
各地へ出向き信仰を広める活動を行っていましたが、時代の流れとともに少しづつ姿を消していきました。

当社の「御師(おし)」たちは、関東一円に在する「御嶽講」とともに、昔ながらの活動を継続しています。

かつて関東では、筑波、赤城、榛名、戸隠、三峯、富士、大山などの霊山に鎮座する神社に御師がおり、それぞれに信仰を広めていました。
その中で当社は、多摩川の源流に位置することから水を司る農耕神として河川流域の農家から信仰が篤く、また江戸期には「大口真神様(おいぬ様)」の御神札が広く信仰を集めたことから特に活動が盛んになったことがわかっています。
御師は御神札を背負って山を下り、幾日もかけて様々な地域や家々を廻って御神札を配り歩くことで、武蔵御嶽神社への信仰を関東一円へと広めていきました。

当社に信仰のある団体を、村や一族などの単位で「講」といい、それぞれ村の字(あざ)や氏族などの名を冠して「○○御嶽講」と呼ばれています。
講は毎年、決まった時節に数人の代参人(代表参拝者の意)を選び定めて御岳山に上り、家々から集めた御初穂やお金で、御師の先導のもと参拝を行いました。
信仰心はもちろんですが、物見遊山や娯楽が伴うことから代参は人気があったと言われています。また同時期に各地から訪れた代参人どうしの情報交換の場ともなっており、干ばつや台風、害虫に強い稲などを持ち寄ることも行われました。

今なお続く、御師の配札

特に秋から冬の時期にかけて、御師たちは山を下りて各地の講のもとへ出向き、
講員の一軒一軒を訪ね、その一年の安全や繁栄を祈願した御札を配り廻ります。
ところにより、「おいぬ様の御引替」などの祈祷札を用いて神棚を拝むことや、
街角に立つ祠やお社、氏神様の祀られる神社などで祈祷をすることもあるなど、
講と御師との数百年にわたる関係と信仰のあり方は、その講によって様々です。

今なお続く、講中の代参

特に春には各地の講の代参人が山を上り、御師の案内のもと当社を参拝します。
スーツ姿など、かしこまった服装の団体が多く見られることは春の風物詩です。
各御師は代々続く講中の参拝を御神前に奉告、その地域の安全や繁栄を祈祷し、
境内地の案内や、宿坊での直会(なおらい)、宿泊にて代参人をもてなします。
参道には各講の参拝記念碑が立ち並び、関東一円の地名を見ることができます。

PAGE TOP
error: Content is protected !!