御岳山山頂(標高929m)の境内に、本殿・拝殿をはじめ数々の神を祀るお社があります。
本殿奥の玉垣内にある各社には、9時から16時まで自由にご参拝いただけます。(祭礼のため閉鎖する場合があります)

境内社
由緒ある数々のお社が、御岳山の山頂に
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本殿
本殿(ほんでん)の御祭神は、 櫛麻智命(くしまちのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、廣國押武金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと ※)。
この本殿となる以前の社殿は、「常磐堅磐社」として移築されています。※廣國押武金日命(安閑天皇)は、神仏習合の教説で蔵王権現と同一の神格とされています。
神明造/明治11(1878)年造営
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幣殿・拝殿
幣殿(へいでん)・拝殿(はいでん)は、徳川治世となって江戸の「西の護り」として東向きに改築されました。
元禄13(1700)年に5代将軍綱吉の命によって造営された幣殿・拝殿が、修復を重ねて今も大切に使われています。入母屋造/元禄13年改築・天保に修復・明治中頃に檜皮葺から銅板葺屋根に
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大口真神社
大口真神社(おおくちまがみしゃ)の御祭神は、大口真神。御祭日は1月3日・5月15日・9月29日。
山中で道に迷った日本武尊(やまとたけるのみこと)は、西北へと導いた白狼に「大口真神としてこの山に留まり、すべての魔物を退治せよ」と仰せられました。特に江戸時代から諸災厄除・盗難火難除の守護の神として、この神符を「おいぬ様」とあがめ、戸口に貼ったり、家の敷地内にお社を建立したりして家の守り神とする信仰が広まりました。流造・瓦棒銅板葺
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常磐堅磐社(旧本殿)
常磐堅磐社(ときわかきわしゃ)の御祭神は、全国の一の宮の神々。
本殿建築として永正8(1511)年に桃山様式で創建された一間社流造、銅板葺きで、歴史を伝える貴重な建造物です。明治10(1877)年に現在の本殿に建て替えられた際、移築され常磐堅磐社となりました。
国指定重要美術品。また、昭和27(1952)年11月3日に、東京都指定有形文化財に指定。流造・桧皮葺型銅板葺/永正8(1511)年建立
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皇御孫命社
皇御孫命社(すめみまのみことしゃ)の御祭神は、天瓊々杵命(あめのににぎのみこと)。
天地が豊かに栄える状を表し、稲穂が豊かに実る国の壮健な男子という意味の神。天孫降臨神話の主役で、皇室の基礎の神とされます。
複雑な屋根の軒先に「三葉葵」の紋があり、元は東照社の社殿であったことがうかがえます。入母屋造・千鳥破風付・向拝軒唐破風造・瓦棒銅板/江戸後期
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東照社
東照社の御祭神は、徳川家康公。
東照宮にお祀されている江戸幕府初代将軍、徳川家康公の御霊をお祀りしています。流見世棚造・銅板葺
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巨福社
巨福社(こふくしゃ)の御祭神は、埴山比女神(はにやまひめのかみ)。農作物を豊かにしてくれる土の神です。
古来、巨福社の周りの土は霊験が強いとされ、古くより虫などの害を防ぐという信仰があり、持ち帰って畑などに撒く風習が伝えられています。方位除・厄難消除のお砂としても崇められています。
お砂は神符授与所にてお受け下さい。流造・桧皮葺型柿葺
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神山霊土歌碑
武蔵御嶽神社の土を田畑に撒くと、土の霊力によって虫の害を防げるという御神徳が刻まれた歌碑です。
題字:副島種臣(そえじまたねおみ)/外務卿
詠:本居豊頴(もとおりとよかい)/本居宣長の曾孫で歌人
書:山岡高歩(鉄舟)/政治家、思想家、剣・禅・書の達人明治20(1887)年2月建立
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北野社
北野社の御祭神は、菅原道眞公(すがはらのみちざねこう)。
「天神様」と親しまれ、学問向上を願う人々の信仰を集めています。また、書・筆・文具などを奉納し、向上を願う人もいます。流見世棚造・瓦棒銅板葺
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八柱社
八柱社(やはしらしゃ)に祀られているのは、春日社(かすがしゃ)・八幡社(はちまんしゃ)・*養社(こかひしゃ)・八雲社(やくもしゃ)・*摩社(ゐがずりしゃ)・月乃社(つきのしゃ)・國造社(くにのみやっこしゃ)・八神社(はっしんしゃ)。
※「こかひしゃ」の一文字目は、「神」の下に「虫」と書く漢字、「ゐがずりしゃ」の一文字目は、「座」の左の「人」の位置に「口」と書く漢字です。流見世棚造・銅板葺
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二柱社
二柱社(ふたはしらしゃ)の御祭神は、神話で最初の夫婦神、伊邪那藝大神(いざなぎのおほかみ)と伊邪那美大神(いざなみのおほかみ) 。
この二神があまたの「国生み」・「神生み」を行い、世界が生命力にあふれ変化に富む豊かなものとなったことから、生命の租神とされています。流見世棚造・銅板葺
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神明社
神明社(しんめいしゃ)の御祭神は、「神明様」と呼ばれて信仰される伊勢神宮の神霊である天照皇大御神(あまてらすすめおほみかみ)、豊受比賣神(とようけひめのかみ)。
神明造・向拝付・銅板葺