牡鹿の肩甲骨を焙り、できた割れ目でその年の農作物の出来不出来を占う「太占祭」。
国内で二社のみが伝承する、希少な神事です。
毎年1月3日の早朝に行っています。
今年の農作物の実りを占う、太古から伝承される神事
現在は、群馬県富岡市にある貫前神社と武蔵御嶽神社だけで行われている、大変珍しい祭事です。秘事であり、一般には公開されていません。
いつ頃から当社で行われるようになったのかは不明ですが、天保年間(1830〜1844)に斎藤義彦が太占祭について書いた片柳三郎家の古文書が残っています。
太占の「ふと」は太祝詞、太敷きの「ふと」、「まに」は神のまにまにの「まに」からきています。
鹿の肩甲骨を斎火で焙り、できた割れ目の位置でその年の農作物の出来不出来を占います。占うのは、早稲・おくて・あわ・きび・ジャガイモ・人参など25種類です。
祭典の前日1月2日の夕刻、斎主・祭員・行事所役の6名が斎宿に入ります。
斎宿の者が火鑚具で斎火を起こし、この火を炭に移して藁灰に埋め、さらに枯木で薪を作ります。
『古事記』では薪は、波波迦(うわみずざくら)が用いられていたとあります。
当社では蔵王権現を祀っていた時代、そのご神木が桜の木であったために敢えて波波迦ではなく、樺を用いていたことが清水利氏の『三田村史』に、当山社家須崎茂氏の文章として載せられています。
現在は杉または桧が用いられています。
1月3日、祭典の早朝、潔斎の後、25本の紙縒りに、定められている農作物の名が書き込まれます。次に肩甲骨の形が紙に写されます。その絵に中心が決められ、放射状に25本の線が引かれます。
斎主が紙縒りを引いて、それぞれの線に農作物の名が書き込まれます。
青竹を四方に刺して立て、注連縄を張り巡らせた祭場の中心にある炉で、三種神宝祝詞を三度奏上する間、鹿の肩甲骨は斎火で焙られます。
無事に太占が終了すると、焙られた骨は社務所に持ち帰られ、宮司自らが測定して、豊作を十として、十段階に作物ごとに結果が判定されていきます。
この祭事は秘事として行われているので、詳細は記せませんが、骨の中心から離れたところにヒビが入れば、その作物は不作となります。
早ければ1月3日の午後には結果表が発表され、神符授与所にて頒布されます。