流鏑馬神事

夕闇に始まる、厳かな流鏑馬

流鏑馬といえば、馳せる馬から矢を射る勇壮な鎌倉武士を思わせますが、武蔵御嶽神社の流鏑馬は、神事として異彩を放つ儀式です。
夕刻から一対の篝火を灯して行われるのは、春の陽の祭「日の出祭」に対しての「陰祭」だからです。
この祭りで使われた的や木片を持ち帰り、焼き魚をのせて食べると一年間無病息災が約束されると伝わります。

陰の祭り

流鏑馬(やぶさめ)の語源は必ずしもつまびらかではありませんが、「矢馳馬」(はやせめ)が訛ったものといわれる説、「矢伏射馬」(やぶさめ)とする説があります。

関東では鎌倉以降、武士の台頭とともに各地の神社で流鏑馬が行われ、御岳でも日の出山に向かう道で流鏑馬が行われたといわれます。しかし現在武蔵御嶽神社の流鏑馬は一般の祭事とは異なり、神事の意味合いが強く、儀礼化した形で伝えられています。江戸末期の記録でも、今日と同じ鳥居前広場にて騎手二名・的役二名が東西に対峙して行われていました。ただし、戦前まで騎手は乗馬していたようです。

現在は、9月29日の誰そ彼(たそがれ)どき、夕闇を待って行います。
秋に行われる流鏑馬は他にも多数例はありますが、夕闇の中で行うのは珍しいようです。これは、当社の流鏑馬が、春の陽の祭「日の出祭」に対しての陰祭として行われていたためです。

古風を受け継ぐ

神事は、午後5時に社殿で始まります。同時に流鏑馬斎場では、一対の篝火が点火されます。
神事が終わるとまず、斎場(鳥居前広場)と参列者を所役がお祓いします。そして弓矢と的を持った騎手二名、的所役二名が先に斎場にくだり斎主を待ちます。社殿と斎場との高低差は約80メートル。石段324段を数えます。
やがて提灯に導かれて、「はくのきぬ」とも呼ばれる斎服(白の衣冠)の斎主と祭員が闇の中を提灯の火に浮かびながら静かに闇を渡っていきます。
斎場はすでに闇に包まれ、篝火が明るさを増していきます。騎手・的所役が斎主達の到着を待って、石段の闇を見上げて整列します。氏子をはじめ多数の人達が篝火に顔を揺らめかせて待ちます。
斎主以下が銅の鳥居に着くと、「オーイー」とイーを長く延ばして斎場に呼びかけます。斎場からは闇の空に浮かんだ白衣の群れを木の間から微かに望むことができ、「オーイー」と騎手・的所役が大声で答えます。
斎主達が随身門まで下がってくると、白衣は提灯の火にはっきりと見えるようになります。
「オーイー」、騎手達が「オーイー」と再び答えます。
斎主達が斎場の一段上の鳥居に到着します。騎手・的所役が階段を昇って、斎主に一礼します。
斎主の指示で儀式が始まります。南北に騎手、東西に的所役が移動し、騎手の「ようございますか」「ようございます」の発声で儀式が始まります。声は朗々として秋の山の闇に消えていきます。
騎手は時計回りに回り、二周目まではそれぞれ南北に戻ったところで弦を弾く所作を行います。この所作は、憑きものを落とす「蟇目(ひきめ)神事」を思わせます。
三周したところで矢を番えて天空に放ち、騎手が「魔(的)射たりー」と叫び、的所役がそれを受け「射たり・をー」と大声で答えると同時に、竹に挟んで掲げていた白木の的を払い落とします。
観戦していた人々はいっせいに的・矢・木片を拾います。

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